なんでもない会話は、まずは受け止めることから始めよう

なんでもない会話は、まずは受け止めることから始めよう

こんばんは。私がホストの接客での反省を次に生かし、コミュ障を克服して行くために気づいたことがあれば記事にしてみようと思います。

人に偉そうにアドバイスするわけではなく、自分の失敗を自省し、あわよくば同じ失敗で停滞している人がこのブログを見て、改善につないでいってほしいと

いう淡い下心も残しつつ

いきましょう。

目次

・卓での会話を録音し、自分の会話の下手なとこ理解してろ、相手の話のいいところを分析してみることにした。
・発見したこと
  ・話の趣旨を理解できていない
  ・知識の話が多い
 

話の趣旨をを理解するためには?

改善点
 ・相手が話していることを理解することから務めてみる。


1、卓での会話を録音し、自分の会話の下手なとこ理解してろ、相手の話のいいところを分析してみることにした。

私自身が、会話に支障が出ているということには自覚しつつも、どういう風に支障が出ているのか

ということに関しては全く反省することがなかったので、

バイト先での会話を録音して

後で振り返り

自分のコミュ力がどれほどかを俯瞰してみることにしました。

その会話を書き起こしてみて、どこがよくて、どこが悪かったのかというところを見ていきました。

2、発見したこと
  

・話の趣旨を理解できていない

まず初めに僕は結構話の流れを理解できていないことが多いです

単純に会話の流れを理解する速度が人より遅れているとみることもできるし、会話以外のことを考えすぎて、連想する話題が変になっちゃうことが多いんですよね。
      

例えばこんな感じ
 

a セブンに野菜スティックあるやん 俺あれ塩で食うねん
a 俺、塩が好きやねん。
a 味噌汁あるやん。あれも塩でいい。
b とんかつとかはどうするんですか?
a オーロラソースみたいなのかける。
c マヨネーズと合わせるとうまいですよ。
aとんかつとマヨネーズうまいん?
c うまいっすよ。
a てか、かけていいって言ったらみんなかける気満々やん
b,cん?どういうこと?
a レモン汁とか、かけていいって言っとるときにもう絞っとるのなんやねんって思う(笑)
c おおお~なんだか、いろんな食べ物がイメージに出てきて、おなかがすいてきました←
はい??【一同】

最後のセリフに注目してみましょう。

この文章、何のはなしでもり上がっているかわかりますよね?

はい。

食べ物に、つける調味料の話ですよね。
何に、何をつけて食べるかとか、

マヨネーズか、ケチャップがどっちがいいかとかいう話が好まれますよね。

別にどっちかとか決めなくても普段この食べ物にはこれを使うっていう図式があって、図式に基づいて
情報交換していると見えます。

しかしね、、、

最後の発言は会話の流れに逆らう岩石のごとく、会話をぶち壊しています。

「いろんな食べ物がイメージに出てきて、おなかがすいてきました」

いきなりおなかがすいたって、知らんがな!!

話本当にきいてる??って思いますよね。

会話の中で、キャラクターとか、個性とか重要だとは思うんですよ。

でもそれが表現できるのはあくまで、会話の流れの中でだけなんですよね。

そして、話す内容はその人が何が好きで何が嫌いかという

価値観だ。

着目すべきは話題に対して自分が優先していることと相手の優先していることを照らし合わせること。

だから、

ここでの正解は話にあわせにいくこと。

レモン汁をかけるという

セリフに対して合わせていく。

「実はあれ、もともとレモン汁かかっていますよ。居酒屋のバイトしているとき唐揚げ作るときはあらかじめレモン汁かけて、追加でレモンおいて提供するんです。」

という話であれば、

「もうすでにかかっとるとか、選択権がレモン味濃くするしかないやんけ!!」

ってaは関西弁で突っ込んで話が進むし、確かにって思ってた人も、実はそうだったんだなって気づける。

これが会話の基本なんだと思います。

・知識の話ばかりしている

これも多いと思います。

自分の勉強している分野になるとやたら知識を語りたくなくなる場面が会話には訪れます。

自己肯定感が低いばかりに、得意なことをアピールして優越に浸ろうとしている心理が働いて

気づいたら言っちゃうってことがあります。

このような場合、本人の会話の目的はいかに優位性を示すことに傾倒しており、話に合わせて、

おもろさを追求するよりも、賢さを示そうとしています。

私って賢いって言いたいだけです。

そうすることで会話の主眼である、話の流れに頭だけがついて行って体がついて行っていない状態になっています。

お互いが登場人物として価値観を伝え合うのが会話です。

ここでは会話に参加しているようにはどうも思えないんですよね。

これって僕だけですかね??

例えばこんな会話です。

d彼は、オナニー2週間我慢するらしい。
bでもさー健康的の出ださないといかないって言わない?
aそうやで
dそうです
男らしくなるホルモンが七日で出るらしいです。
あれ七日を上がると下がります、濃度が、
その効果はなくなるんですけど、自制心的な意味で

dこないだの話っていい?

cの発言には実は問題点が2つあります。

今回は話の内容には乗れているのですが、

1、少し専門的になりすぎている
2、何が言いたいのかわからない

というところに尽きる。

ある人あオナニーが健康にいいと言ってるのに対して

「健康にいいのはいいけど、一週間ごとにオナニーをやるのがベストらしい
なぜかっていうと、一週間おな禁すれば、テストステロンというホルモンの分泌が高くなるからだ、そのホルモンには
体調をよくする効果が含まれているんだよ。」

ていうことが言いたいんですよね。

主語述語が明確ではないので、ほんとにわかりにくい

あと、できれば科学的なエビデンスを重視するよりも、みんなが知ってそうな根拠で話すほうが、女の子相手にはいいかもしれない。

ん?テストステロン?ホルモン???ってならないように。

cの主張は嫌いではないですが、もっとくだらない感じで、議論するほうが楽しい。

自分なりの根拠を 加えたほうが時には生産的な話になる。それが本当かどうかは別として、、、

共感できたほうが、正しくなくてもいい気がするのだ。

話の趣旨を理解するためには。

まあ、adhdとか、自閉症とか、鬱とかいろいろなパターンがあると思うのですが、それ以外の原因を考えてみることにしました。

それは、聞く準備ができていないということです。

ついつい無意識のうちに、会話を身構えてしまっているように思えるのです。

リラックスするのがいいですね。

どうやってリラックスするかはまだ、未確定なのですが、瞑想を通して、落ち着きを取り戻したり

不安という感情と付き合っていことにします。

僕の場合、話さないと相手にされないという観念が小学校のころに形成されており、コンプレックスもあって

もしかしていじめられるんじゃね??とかいつも思ってたような気がします。

だから、自分を守るために相手をまくしたてるように話していたと思います。

幸い、それを面白いよと言ってくれる友達が小学校の時にはいました。

僕はその人に日常の話をべらべら話していました。その友達は笑ってくれていたような気がします。

そんなこともあってかクラスではお笑い芸人になりそうな人ランキング3位になっていました。

その時は名誉なことだと思って、面白さが認められたと有頂天になりました。

何の関係があるのって話ですけど、僕は一回我に返る時期があるのです。

俺って回り、見えてなくね・・・
うるさいだけじゃね、、自分って思うようになりました。

その時から、僕は何かが足りないんだよと思うようになったんです。

愚痴もたくさん友人に話したりしていたと思いますし、今日こういうことがあったんだぜ

って簡単な世間話ができているようにも見えます。

「笑わせることが」価値だったあの時の自分の望みは、実は「最も分かりあう」ことを遠ざけていたのでしょう。

確かに僕はその形で価値を提供していたのかもしれません、

しかし思春期に入った私は

とにかく、こころを通わせたいときれいなことをいいつつ

愛されたいということを欲するのでした。

楽しいという感情ばかりを表現してばかりで、寂しさと悲しさもありました。

分かり合えない自分はダメなのかなと思ったこともあります。

しかし、どうやら寂しさを抱えているひとは多くいます。

そんな時、どうにかするのか、どうにかしてほしいのかで、僕は周りに助けてもらう選択をしました。

それはある意味正解で間違いです。

周りからアドバイスもらっても本人がそれを消化できるかどうかは、本人の信念次第だし、

絶対変われるし、変える、という覚悟ができていれば、考えるべきことは決められるはずです。

無理かもと思うと、すぐ揺らいでしまうのが人間の性です。

しなければならないといって焦らず、かといってもう無理と言ってあきらめず、変えてはやるけどまあもうちょい時間かかるよな!

程度に考えるとちょっと楽になりました。

3、改善すべきこと

改善するためにやることは

1、まず何を話しているのか理解することに集中してみる。
2、概念の話をするのではなく、自分が登場人物になって経験を交えた知見を話す。
3、おもんなくても、ありか、なしかの、自分の意見を持つこと。
この三点が重要かなと思っています。

1、まずは話を理解することから始めることです。
なんて話すかじゃなくて、「今どんな話の流れかな?」ということを考える癖をつけること。
これができればあとは意外と簡単だ。
会話は趣旨をずらしながら別の話題に飛んでいったりする。
俺の場合は、自分の中で話をしすぎて、その場に求められていないものを投げ込んでいる。


カレーを作ろうとしているのに、なぜか自分はシチューを作りたくてカレーの中にぶっこむ。


そしたらいまカレーのレシピ作ってんだよって怒られちゃう。


会話には切り替えがあり、

当然カレーの話にとどまらずそこからニンジンを取り出してそれが、野菜炒めになる材料になったりするようなものだろう。

いつ会話を切り替えるのがいいか頃合いを見極めるのはレベルが高い、まだ勉強が必要だ。

あとは自分の体験談を用いて、いろんな意見を交えてみればいい。
それが話せないということは、話題自体が、あまり経験に基づいていなくて、話せる量が自然に少なっているケースは多い。

大人の話は大学生にはなかなかついていけず、聞くのが精いっぱいであることもある。

そういうことは全く恥ずかしがるべきものではないと思う。
相手の経験を聞いて自分も話のネタが欲しくて始めたら案外面白かったということも多いだろう。

事あ人なのか、重視すべきものでモチベーションがあがるきっかけがかわることもある。

お互いをわかってもらえる、共感が欲しいという動機から、話のネタを探すのもいいと思うし。

俺はこれを極めると貫いて博士レベルに詳しくなるのもいいだろう。
しかし、ほとんどの人は共通点をどこかしか持っているもので、そこにボールを放り込むのがいい。


相手の話を理解したうえで、この話はあまりついていけるものではないから今は聞き手に徹しよう。

その遠慮は何も恥ずべきものではない。


むしろ学ばせてもらえるという気持ちで好奇心を持って、理解を徹することが一番だと思う。

しぐさでわかる心理、相手の心理は足で見抜く!?

こんにちは、皆さんは相手の気持ちを察する際には体のどの部分をチェックしているでしょうか?

顔でしょうか?普段私たちは顔を見ながら会話しています。確かに顔も愛店の心情を理解するのに必要な情報が集まっていますが、見落としがちなのが顔ではない。

足なんです。

足の動きとして代表的なものに、貧乏ゆすりや、軽くつま先を上げたり、地面を足でタップしたり、足を組んだり、といったようなアクションがあります。

なぜ足なのか

大昔私たちは体のどの部分よりも早く足を動かしてきました。それは周りの脅威に即座に反応(熱い熱、追ってくる脅威、猛獣)によって無意識的に動く部分であると言っていいでしょう。今となっては脅威となるような対象は少なくなりましたが、私たちが脅威やストレスを感じると足がつい反応してしまうのは何世紀たっても変化しない事実なのです。

相手の足の動きをふと観察してみると、様々な動かし方があることに気づかされます。足を全く動かさなかった、嬉しそうにぴょんぴょん動かしてみたり、恋人同志だと相手の足と足との間隔が狭くなっているかもしれません。

足の動きだけで様々な感情表現がされています、足は意外と目に入れない部分であり、その人の本心を表すのには最適な体の部分なのです。

あまりチェックしすぎると変態になりますが、ふとした時にちらっと見てみましょう。そしてそれは何気なくやってください、凝視だけは絶対にしないでください。女性からは120パーセントアウトです!

これらを注意したうえで人間心理を表す足の動きのサインを見ていきましょう。

1つま先が自分のほうを向いている向いていない。

私たちは対面で普段お仕事中に話されることが多いと思いますが、通常足の方向は相手のほうを向いているでしょう、ですから、もしつま先が別の方向に向いているのであれば、何かストレスを感じていると判断したほうがいいでしょう。

2足を上下に弾ませるように大きく動かす

喜びを感じたとき足は小刻みに動いたり跳ねたりしている。何か大切なことを見聞きした時、感情によい影響を与えたのであれば、満足感、喜び、野心を表している。 駅の待合室で久しぶりに恋人に会うとき、ついつい浮足立ってしまわないだろうか、まだ来ないかと足を上下に振るような動作をすることはないであろうか、その時のあなたはたいてい上機嫌であるはずだ。ポーカーフェイスのポーカーでこの足の動きを見かけたら。この人はこの勝負の勝利に絶大的な自信を持っているのだと判断するのがいい、しかし、厳正な試合でそこまでみることはできないでしょうけどね。

3、足を人や物に向けるか、人や物から離す

私たちは自分にとって好ましいものに目を向けようとしている。それと同様に足も好ましい方向で向いてしまいます。 例えば2人で話し込んでいる最中に話の輪に加わりたくてあなたが近づいてきたする。その二人は確かにあなたに向かって話を聞こうとする姿勢を表面上するかもしれないが、足のつま先だけはあなたのほうに向いていない場合、その二人はあなたを会話の輪に入れることを望んでいないと判断すのがよい。 もしくは、あなたが女性と対面して会話している最中に、女性の反応がいまいちで、つま先を自分のほうではなく、出口や通路に向いている場合には、あなたに何らかのストレスを感じており、不愉快なものから体の向きをそらして逃げ道を選ぼうとする。 もしあなたの彼女がそういった行動をとるのでああればその原因をしっかり考えなければならないサインを向こうから示してきていると考えないといけないです。

4、膝を握っている。

椅子に腰かけている人が両手を膝の上において握るような動作を行っているのであれば、その人は心の中でもう会話をやめて帰りたいと思っているかトイレなどを我慢しており、席を立ち去りたいと考えている、この動作は人が椅子から立ち上がる動作の準備をしている。そのあとに状態を前に倒したり、椅子に浅く座りなおしたりする。もし目上の人ならば、商談などをする際にはささっと切り上げるのが賢い選択だと言えます。

5、両足を開く

人間に限られずほとんどの動物が縄張り意識を持っている。 人間はストレスを感じた時や、ライバルに脅かされた時には縄張りを主張する、人間の場合は自分をできるだけ大きく見せるために足を大きく広げようとする。こうして心理的なバランスをとるだけではなく、縄張りも主張するのである。 本人には意図せず緊張感からこうした行動をとり相手にプレッシャーを不必要に与えていないか注意が必要であろう。 相手まで自分の行動で緊張してしまったら損である。なるべく足は広げないようにするとお互いの緊張は薄くなることも多い。 もちろん意識的に足を広げて立つことで権威性を示すこともできる。迫力を出さねばならない隊タイミングでこのような動作をとることはむしろ有益でしょう。

6、足をクロスさせて立ち話する

私たちは普段二足歩行でバランスをとっており、だからこそ、脅威が近づいてきたらすぐに足を動かせるようになっているんです。 これが足をクロスさせながら立ち話をする場合には、わざと不安定な体勢に身を置いていると言えます。 そうすると、会話する相手に対しては、脅威を感じていないと判断することができます。 こうするといざというときに固まることも逃げることもできません、 この場合は相手が快適さや自信を感じていると考えられます。 これは、ミラーリングという模倣のテクニックを使って、相手に対して無意識的に警戒していないという合図として行えば効果があります。 対人関係が苦手な人はなかなか難しいかもしれませんが動作から入っていけば心もついてくるかもしれませんし、相手の警戒心を下げるという意味でもやってみてもいい動作ではないでしょうか?

7おわりに

足は人間の体の中で一番正直な部分です。注意深く観察すれば、相手のストレスや、自信、喜び、警戒心の度合いなど様々な情報を受け取ることができます。人間のコミュニケーションは8割ノンバーバルが由来であるというメラビアンの法則は誇張ではないようです。 言葉ではそういっても体は正直で全く別の反応をとっていることが多いからです。

いま取り上げた以外にも人の感情のキビによって、人は動作を変えていくものです。 足の動きはそれが一番顕著に表れており、人間心理を読み取るのに役立ちます。 僕も実際意識してみてみると一気に世界が変わったので、ぜひ足の動きが心理を表していることを理解して、観察してみると見えてくるものがあるでしょう。

ほかの体の部分のもつシグナルと比べて観察していけば、より相手が何を感じていて、何を考えているのかといったようなことがよく把握できるようになります。 相手のサインを見抜けるようになれば、何かとコミュニケーションが円滑になりそうです。

コミュ力、対話と会話について、日本人はもっと対話したほうがいいんじゃないのか?

今日はちょっと物申したいことがある、俺はコミュ障、陰キャラではあるが普通の人は落ち着いてほしい。

普通の人は落ち着いて聞いてほしい。繰り返す。

普通の人は良く聞いてほしい。

コミュ力とは何ぞ?

コミュ力で悩んでいる全国のコミュ力チェリーボーイミーツガールに納得できる形で答えてほしい。

ここからは僕の持論にはなるが会話とは、お互いの外面的な情報を共有して、情報伝達としてのフォーマルな形式に従って発話することだと考えている。

逆に対話とは、お互いの価値観の違いを受け入れ、本音で語り合っていく発話だといえる。

日本のコミュニケーションは前者の情報交換としてのコミュニケーションを重視していることに異論はないであろう。

コミュ力ってどうやってあげるの?って質問したら

おそらく、慣れ、とか、積極的に話しかけるとか、相槌打てばいいんじゃないとか、結構適当なこといって答えるよね。

別にそう答えたからと言って間違いではないけど、それでは、問題を解決することにはならないし、チェリーはいつまでたってもピュアなハートを捨てられないんだよなああああ。

少なくとも普通の会話ではコミュニケーションできているようで全くできていないからだ。彼らとはいつまでたってもコミュニケートできないんだ。

彼らだってバカでもないわけだからみんなと仲良くなりたいと思ってる。普通の人も天才もそれは一緒なんだ。

でも、なんでそれができないんだろう。それはつかみどころがわかんないってところなんじゃないのか?

そこで、コミュニケーションっていうのは社会生活を営んでいる人間が、感情や思考を伝達しあい、その過程で身振りや言語でそれを表現していくことであるならば

あなたたちはどれだけそれができているか逆に問いかけられることになるからだ。

彼らの中には、チェリーたちをよく言わない人たちがいるだろう。

そのあなた方に聞いているんだ。

会話とは複数のものが話すという意味があるがそれは広義の意味であろう。

もちろんチェリーにもうまくコミュニケーションできない理由はあるにしても今回はそれを語らない。

ちょっと話がそれてしまっているが、元に戻って、要は、あなたたちがどれだけ好き嫌いを語り合って、本当の自分で語り合っているかだ。

私たちはいつも自分にうそをついて生きている。

先ほど普通不通と何度も繰り返して言うくらい普通であふれているこの日本社会では

初対面の人に出身から聞く。

権力者のいうことにはイエスと何も考えずに言う。

面白くもない話に笑顔で相槌を打つ。

話していることが自分と、相手に関することから離れた概念の話ばかりしている。

上から目線で偉そうに言ってくる。

新聞を開いて毎朝何が起こったか報告会をする。

全部自分が聞きたいことを聞かなかったりやりたくないことやったり、そうなってしまった結果ストレスが溜まって、結局自分にうそをつくのに疲れて八つ当たりできるところから八つ当たりして憂さ晴らしする。いじめっ子と同じことをする。

立場の弱い人間はその餌食になり、生き残った傷を負った人間がまたそのあとに弱い人間を食う立場に戻る。

まさに弱肉弱食。

フォーマルな形に従ってその正しさを疑わずに生きていると、自分がわからなくなって、さらにあらかじめ提示された形式にこだわるんだ。だからそういう人間は寂しくてもろい。

何がいいかなんて答えなんかない。

だから僕はせめて本音で対話してほしいんだ。

別に小難しいうん蓄や知識を披露しなくていい。

あなたがどういう人に恋をして、どんな食べ物が好きで、どんな音楽が好きで、、どんな時に一番心を揺さぶられるか、生き方はどう考えているか、人とのかかわり方はどうか、自分ってどんなタイプだとおもってるか、、、

とってもシンプルでも、みんな人それぞれよく対話して聞いていけばもっと人間味が見えてくる。

相手の嫌いなことと好きなことに興味を持たないといけないんだ

情報交換としての会話は仕事を円滑に進める上では重要だが、余計な情報も多すぎているから、排除するスマートさも必要だろう。

フォーマルな会話をするだけでは、つまらない時間だけがその場を支配していくだけだ上下関係も怨恨まみれだったりする。

今日もなんか疲れたって思わないように、今日一つ仲間のいいところを見つけてあげるんだ。

聞いてあげてくれ、もしないっていうんだったら、思い出させてあげてくれ。

若いころの情熱を

だから、大人の時間の半分を会社で過ごすんだったら仕事と割り切るより、ずうずうしく聞いてあげたほうがいいんじゃないか?

だから、聞いてほしいんだ。

もっと対話しようよ。

嘘つかないでほしいんだよ、自分単体に帰ってきて、何も頼らずに裸で向き合ってみろって感じです。

会話は仕事をする上では重要ではあるが、もっと重要なのは仲間とつながりあえているかどうか、そこは対話がかいけつしてくれるんじゃないだろうか。